ご由緒

この地は「出雲風土記」に「拝志ノ郷(はやしのさと)」と記されている。
この地名の起源は大己貴命が越の国の平定に向われる途中、この郷に樹木が繁茂しているのをご覧になり、自らの勇ましい御心に副(そ)う「吾が心(みこころ)の波(は)夜(や)志(し)なり」と詔ったことによる。
当社は、「出雲風土記」に「意宇郡 波夜志郷 布宇神社」と記されてあるが、もとはこの所にあったのではなく、「出雲風土記」に「此ノ地二正倉アリ」と記されてある『正倉』のあったといわれる現在の「元宮」と称する、宍道湖畔が当社の旧所在地である。しかしながら当社は元禄十二年(一六九九年)火災により焼失し、その後現在の地に移築奉齋され、明治二十七年(一八九四年)五月に現在のように造営されて今日に至っている。
また、当社の通称を「風ノ宮(かぜのみや)」と称しているのは、元寇の際祈祷により『神風』を起した功をもって正応六年(一二九三年)の官符によりその称号を奉られたことに由来している。その他、世俗に疫病の類を風(かぜ)の病(やまい)といい、疫病・はやり病(やまい)鎮護の神としても信仰を集めている。
そして、当社元宮の地に鎮座の頃、時の出雲國造が当社の神霊の加護により生命を救われた謝恩として当社に参拝し、祝詞・幣帛を献じて祭典を執り行い、その翌年からは初穂を献じて報恩祭を執り行われた歴史がある。

由緒書原文

当社由緒書『原 文』
「天平五年(七三三年)出雲風土記ニ天下所造大神命(あめのしたつくらししおおかみのみこと)越(こし)ノ八口(やくち)ヲ為(ことむけ)将平幸(むとしていでましし)時此處木茂其時詔給リ吾(わが)御心(みこころ)ノ波(は)夜(や)志(し)ト詔キ故ニ林ト云神(じん)亀(き)三年(七二六年)字ヲ拝志ト改ム即正倉アリ其以前ノ由緒不詳
合祭大名持命ハ寶神社ノ祭神ニシテ享和三癸亥年(一八〇三年)棟札有レトモ其以前ノ由緒不詳明治四十年六月二十四日村社布宇神社ニ合併許可
合祭大己貴命下照姫命ハ村社根尾神社ノ祭神ニシテ勧請年代不詳ナレトモ寶永六年(一七〇九年)ノ棟札アリ明治四十二年五月二十八日村社布宇神社ニ合併許可」

布宇神社の旧所在地

古地図(クリックで拡大)です。

神社の旧所在地(緑色の付箋箇所)と現在の所在地(青色の付箋箇所)となります。

 

年間祭事予定

(◎印・・・四大祭)

見どころ

旧参道 鳥居跡

出雲國造が参拝の折、お通りになられた参道の名残です。

荒神様

神社下(社号標側)の入り口から神社へ続く車道沿いにある「荒神(こうじん)様(さま)」です。
当社宮司家(ぐうじけ)である家原(いえはら)家の荒神様
氏子各家庭の荒神様

周辺の古墳群

当社の周辺には林古墳群が残ります。

布宇神社社号額

布宇社(ふうのやしろ)

付近の風景(拝志ノ郷)

神社周辺の風景です。
神社のある小高い丘から眺める宍道湖の眺めが格別です。
「林」の字のとおりの木々に囲まれた豊かな自然の残る地域です。

ご本殿 御扉(みとびら)

当社ご本殿の御扉。それぞれが欅の一枚板で作られた重厚な逸品です。